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ブログ 蔵談義

杜氏 北場 広治 「 中2で抱いた杜氏への夢」の巻

2021.1.21

昨年より2杜氏体制で酒造りが始まった渡辺酒造店。その中で新しい杜氏として入社され、岡田大杜氏とともに飛騨での酒造りを始められた北場杜氏にお話を伺いました。

 

Q:まずはプロフィールを教えて下さい。
北場杜氏:大阪生まれ大阪育ちの50才。
全国の名のある杜氏が集まって交流をする加茂鶴会(かもづるかい:通称名人会)に参加させて頂いていた時、岡田大杜氏からお誘いをいただいたのが縁で昨年より渡辺酒造店にて酒造りをすることになりました。当地に来る前は、奈良の酒蔵2軒で杜氏として酒造りをしておりましたので、渡辺酒造店が3軒目の酒蔵となります。
Q:50歳で既に杜氏として3軒目の蔵ということは、かなり若くに杜氏になられたのですね。
北場杜氏:そうですね。29歳で杜氏試験に合格して、30歳で一級技能士をとりました。しばらく経った頃、確か35歳だったと思いますが、ちょうど1軒目の酒蔵の杜氏さんがリタイアされる事になりそのタイミングで杜氏にならせて頂きました。その当時、同世代で杜氏になっていたのは全国でも数人だったと記憶しているので、かなり早かったと思います。
Q:若くして杜氏になられたということは、スタートも早かったのですか?北場杜氏:まずは酒造りを志したきっかけですが、中学2年生の冬、何気なく見ていたニュースで『新酒ができました』というコーナーを見たことでした。他の人が見れば、よくある季節のニュースだったのですが、私は『お酒がお米からできている』という事実に衝撃を受けたんです。あんな『硬いお米から透明な液体ができあがる』のは何故だ!?…それを自分も作ってみたい!そう思ってしまったんです。それから親に「中学を卒業したら酒造りの道へ行きたい」と伝えたのですが当然許してはもらえませんでした。その時の結論としては『酒造りの道へ』という話は一端棚上げし、「とりあえず高校は卒業する」というものでした。そしてその約束通り、地元の普通科の高校に進む事になりました。親としては高校生活の中で、『大学に行きたい』なり、普通の『〇〇会社に行きたい』と心変りするだろうと思っていたのかもしれません。しかしながらそんな意に反して私の気持ちが変わることはありませんでした。ただ、その頃の蔵人の働き方は、昔ながらの季節限定出稼ぎタイプの働き方が主流で、1年間の通年雇用で蔵人を雇うのは稀な時代でした。私を受け入れてくれる酒蔵が中々なく苦労しました。そんな中、進路指導の先生のご尽力のおかげで、最初にお世話になることになる※大阪の酒造会社から「蔵人を志望するとは、面白そうな子がいるね。もしよかったら…」と声をかけて頂きました。高校を卒業した18歳の春、これが私のスタートです。
Q:奈良でスタートした酒造り人生。今回初めて慣れた地を離れての酒造りとなったわけですが、飛騨地方ならではのご苦労はありましたか?
北場杜氏:雪が降る、寒いということです。奈良ではほとんど雪が降らない、飛騨ほど温度が下がらないので、酒造りの際に気をつけるのは温度があまり上がらないように『どう冷やすか』でした。しかし、飛騨では逆に、『冷やしすぎない』。考え方のベースがまるっきり逆になったのに苦労しましたね。
Q:では逆に渡辺酒造店に来てよかったと感じているところはありますか?
北場杜氏:私自身南部杜氏で、岡田大杜氏も前任者の板垣杜氏も南部杜氏です。南部杜氏が教科書的にお酒を醸すと、飛騨地方の方が好むお酒と比べて、少し薄っぽいんですね。それなのに、飛騨地方の方が好むお酒へと不断の努力と工夫を重ねることで変質させ、さらにはそれを引き継いで今も愛され続けるお酒を醸し続けている。先輩南部杜氏たちのこれまでの情熱を身近で感じさせて頂くことができ、良い縁を頂いたなと感謝しています。あとは『和醸良酒』が体現している蔵だというのも良いところですね。この言葉は和をもって醸すといい酒ができる、という意味なのですが、蔵人のように同じメンバーで一定期間住食を共に生活するとやっぱりケンカというか嫌なところが出てくるじゃないですか。だからこの言葉は『仲良くやろうね』という目標的な
意味合いの強いのが実際のところだと思っていたのですが、なんと渡辺酒造店ではこれを体現しちゃっている。蔵人同士も蔵人と経営者側もよくコミュニケーションをとる。50歳にして勉強させられました。
Q:渡辺酒造では昨年より2杜氏制となりましたが、これは良くあることなのですか?また岡田大杜氏と北場杜氏の役割の違いを教えて下さい。
北場杜氏:2杜氏制を敷いている酒蔵は他にもあります。多いのは、引退間近の大杜氏とそれを引き継ぐ新杜氏という2杜氏で、この場合新杜氏がほとんどを行い、大杜氏は相談役のようなすみ分けです。当蔵は、岡田大杜氏がまだまだ元気ですので、岡田大杜氏が現場監督として総指揮。私は、大杜氏の指揮の下、設計したり資材の調達。現場がスムーズに回るように全体のサポートを行っているイメージです。あと、これは社長からの意向であり、私自身も自覚している私の役割なのですが、『経験や勘であったこの世界の伝統や技術を数値化する』のが重要なミッ
ションです。技術や伝統と言うのは自分や自分たちの世代だけのものではなく、技術は伝承できてこそ、次世代に伝えられてこそ初めて技術・伝統となりますからね。
Q:お酒造りで大切にしている事、気を付けている事は何ですか?
北場杜氏:『気遣い』です。酒造りには酵母や麹菌というものが必要です。それらを使ってお酒を醸していくわけですが、お酒を作りたいと思っているのは人間であって、酵母や麹菌達はお酒を作ろうとか、そのお酒を辛口にしようとか、そんなことは一切思ってもいない。与えられた環境に準じてその環境下の発酵を行っているだけ。当然表情も出さないし、声も発しない。そんな酵母や麹菌の声なき声を聞く、感じる。表情があり言葉もしゃべる人間に気遣いができずに、いい酒が作れるはずがないという考えから、『気遣い』を大切にしています。
Q:どんなお酒を目指していらっしゃいますか。
北場杜氏:2つあります。1つは、1口目より2口目、2口目より3口目、3口目より4口目が美味しく感じるお酒です。みなさん、「お酒は、ひと口目が一番美味しい」とよく言われるのですが、そうでない飲むほどに美味しく感じるお酒を作りたいと思っています。2つ目は、感動する、感動させられるお酒です。現在日本で杜氏をされてみえるフィリップ・ハーパーというイギリス人の方がいらっしゃいます、その方は英語の先生として来日されたのですが、日本酒を飲んだ事で感動し、杜氏の道を志し実際に杜氏になられたんです。そんな、人を感動させ、時には人生すら左右するお酒を作りたいと思っています。
Q:最後に渡辺酒造店で好きなお酒を教えて下さい。
北場杜氏:ドSの酒ですね。あれだけチャレンジ精神をくすぐってくれるお酒はありません。自分の酒造り人生の中でもなかなかできない挑戦でした。正にドSでした。
Q:すみません。飲む方で好きなお酒を聞いたつもりだったのですが…。
北場杜氏:ははは、すいません。飲む方ですね。小町桜です。

 

好きな言葉をお聞きしたところ『酒造り一筋』とのお答えでした。中2で志した時から一筋。もちろん途中他の道を考えた時もあったようですが、だからこそ自分を戒めるために一筋と言い聞かせて来られたようです。最後の件、好きなお酒を聞いた際も、作り手目線のお酒を答えられたのが北場杜氏の愚直な性格を表していたように感じます。技術や伝統の数値化で安定して美味しい蓬莱がいつまでも醸される事をお祈りして…。

 

※本社は大阪ですが、酒造場自体は奈良にあるためプロフィールにある以前の勤め先としては奈良の2軒との表現となっています。

聞き手/村坂壽紀

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